2000年7月発行 No.51
去る6月10日に新宿で「どうなる日本の原発−
臨界事故から学ぶべきこと」と題してセミナーが開かれました。そのな
かで東海村村議会議員の相沢一正さんのお話を
聞くことができましたので、ご紹介します。
相沢さんは茨城県立歴史館首席研究員を退職後、今年1月の村議選で初当選さ
れました。脱原発とうかい塾、東海第二原発裁判原告団の代表も勤めていらっしゃいます。
「昨年の臨界事故では、原子力東海村45年の歴史のなかで初めて本格的な恐
怖を味わいました。
1950年代後半に原子力が村にやって来た当初は、
新しい時代を拓く良いものと認識していました。それから第一、第二原発、再
処理工場、核燃料工場と次々に施設が増えていき、村には近代的な施設や道路
が次々に整備され、外見だけは『発展』しました。
思えばこの45年は危険を蓄積してきた年月で
もありました。
行政面でも、ここ15年は村長が3期連続無投票で決まる状態で、原子力と行政の馴れ合いが続いてきました。
しかし、3年前の動燃の火災事故、そして今回の事故と経験して村民の意識も
変わってきました。
特に今夏員の事故後11月に行われた村のアンケート調査では、
- 原子力施設の安全性について『安全』と思う人が
事故前63%→事故後15%
- 国の原子力政策について『積極、消極推進』の人が事故前52%→事故後32%
と大きく変化しました。
しかし村民は原子力関連の仕事に就いている人も多く、意識の変化はなかなか
現実を動かすところまでいきません。村では『あの事故はもう忘れたい』という
雰囲気があり、問題にしにくい。
1月の村議会選も反対派の当選は4人(推進派は18人)でした。推進派はさ
らに新たな施設を誘致する動きをしています。
そうした中、非常事態の際の村長の執行諮問機関として
『原子力問題懇談会』が作られました。学識経験者など15人のうち7人
が一般村民から公募され、応募者多数の中から4人の女性も選ばれ、先日第一
回の会合がありました。再処理工場の運転再開
が今焦眉の問題となっています。 ・・・」
私たちも東海村のこれからに注目しつつ、相沢さん達の活動にエールを送って
いきたいと思います。